Blog(4) 日常:冬の訪れに思い出す、ウィーン到着編

2025.10.15

ウィーンもどんどん寒くなってきました。現在の気温11℃。なんだか秋を通り越してもう冬に突入している感じがします。

8年前、ウィーンに初めてやってきたときもちょうど今頃の季節でした。

10月なのにびっくりするほど寒くて、太陽が出ている日も少なくて、人生初めての海外生活の始まりの不安が更に大きくなったことをよく覚えています。
当時25歳だった私。海外旅行は何度かしたことはありましたが、ウィーンに来るのは人生で初めてでした。なんならドイツ語圏に行ったこともなくて、知っているドイツ語は「ダンケ」と「ビッテ」の二つだけ(笑)ここで人が話す言葉も、標識もお店のメニューも、電車の中のアナウンスも。私には全て意味をなしませんでした。

大きな理想をもって渡航して、落ち込むのも嫌だったので、ガイドブックやウィーンに関する情報にも極力目を通さず、本当に右も左も分からないまま、冬を迎えるウィーンに到着したのでした。
誰も知らない、何も分からない街。当時の私には、それが変に心地よかったことを覚えています。
誰にも気にされず、誰のことも理解できない生活の始まり。不思議な安心感がそこには確かにありました。

当時日本の大学で博士課程の学生をしていた私は、7か月間ウィーン大学での研究留学を目的に、オーストリアに渡航しました。そこから8年もウィーンに住むことになるなんて、自分自身を含めて、誰も考えていなかったことです(笑)

気づけばもう8年。人生の長い時間をここで過ごすことになります。
この地で私は、人生の師に出会い、人生の伴侶である夫に出会い、苦楽を共にする友人たちに出会い、さまざまな出会いを通して自分と向き合い、出会っていきます。
自分と出会うというのは変わった言い回しに聞こえますが、本当に、そういうものだと、振り返ってみると思うのです。

ウィーン到着後の私はドイツ語はおろか英語(特に聞・話)の能力が著しく欠如していました(笑)
なんせそれまでの人生は全くの東京生まれ、東京育ち。日本では英語を話す機会もなく、「まぁ行ったらなんとかなるだろ?」というノリで渡航した私。

が、しかし、最初の頃は、今思い出しても笑えるくらい(笑)、研究室でもみんなが何を言ってるのかさっぱり分からず、本当に身振り手振りで何かを伝えようと必死でした(笑)
あの頃の私に辛抱強く耳を貸してくれた同僚たちには本当に頭が下がります。
大学で仕事が終わって、宿泊先に帰ってからは、繰り返し英語のシリーズを英語字幕で見ていました。
最初の頃はディズニーの映画を英語字幕つきで、何回も何回も何回も繰り返し見ました。慣れてくると、Friends, Big Bang Theory, seinfeldなど、日常系シリーズを字幕つきで見るようになります。
これは言語学習のためでもありましたが、特に日常系のものを見始めるとジョークが理解できるようになってきます。文化背景的な知識は生きていく上で本当に役に立ちます。

初の海外生活、毎日を過ごすことに本当に必死で、夜には爆疲れしていたことを覚えています(笑)
不安も緊張も未来のことも、考える余裕も全くなく、7か月はあっという間にすぎていきました。
ウィーン研究生活も終盤、やっと耳も慣れてきて、満足のいく会話ができるようになってきたのもつかの間、日本帰国は目前へと迫っていました。なんだか本当にあっという間だったなぁと思っていたそんな頃、ボスが私のところへやってきてこういうのです。

「ジャン、もし興味があったら、ウィーン大学と日本の大学の両方で博士課程をやってみない?大学に相談すれば、そういう仕組みが作れると思うんだけど。」
「やります」
後先のことは何も考えず、頭が状況をよく理解する前に、私はそう答えました。

言葉もよくわからず、将来何をするのか、どこで暮らしたいのか、全てが曖昧でしたが、そのときの私は、確かに、「ここでもう少しやってみたい。」という自分の声を聞きました。
それが現実的か、それは分かりませんでしたが、その瞬間、その思いだけが私の中で鮮明に声をあげていたのでした。

さて、こんな感じで私のウィーン生活は幕を開けます。ウィーンでの生活を振り返ったのは本当に久しぶりです。さて、日本人博士学生の心理学者、何がどうなったらこんなに長い時間をウィーンで過ごすことになるんでしょう。
また気が向いたら、思い出日記を書いてみましょうかね。それでは今日はここまで、Bis Bald!

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